>> HOME >> 図書室TOP >> 戻る
≪音楽系トリビア全集≫


>> 戻る
No.001 指揮棒が刺さって死んだ人がいる

昔、「指揮者」というものが確立していない頃、指揮棒は現代のように細くて短いものではなく、山登りに使う時のような“太くて長い杖”でした。 「指揮」といっても、それはリズムをとるだけで、床をドンドン叩くというものでした。ちなみに、先端は尖っています。 電気の無い時代、ローソクだけの暗いステージの上では、どーしても、"音をたてて拍子をとる"しかなかったのです。 ちなみにそれは「音楽がよく聞こえない」という抗議が後を絶たなかったほどデカイ音だったようです。 だけど、リズムのバラバラだったオーケストラのタイミングが、ぴたりと合うようにするためにはどうしても必要な行為だったのです。 ところが、その杖を強く叩いた拍子に、誤って自分の足に突き刺してしまい帰らぬ人となった伝説の指揮者がいます。

ジャン・バティスト・リュリ(Jean-Batiste Lully1632-1687)※注・
リュリ―Wikipedia

現代で"フランス音楽の父"とも呼ばれているリュリは、 当時の国王ルイ14世の寵愛を受けてた音楽家で、生涯を彼にささげ(→男色)、宮廷バレエやオペラを作曲し続けた人物です。 1687年、国王が大病から回復したことを神に感謝する【テ・デウム】を演奏する日、リュリは愛する彼のため本気モードで熱烈に指揮をしました。 しかし、その指揮(床を杖でドンドン叩くやつ)にあまりにも力の入りすぎてしまった彼は、勢い余って自分の右足の親指に、“ソレ”を思いきり刺してしまいます。 やがて傷口は化膿し(=菌が入った)、それから2カ月半後の3月22日に死んだのです。

〜【音楽室】のコンテンツ《 Maniac MIDI 》より抜粋〜
そんなおバカなリュリの楽譜をネットで見つけてしまったので、みんなにも聴いてもらおうとmidiを作ってみた。 このエピソードを知ってからこの旋律を聴くと、なんだか無性にマヌケな曲に聴こえてしょうがない。 ついでに、“杖の音”も入れてみた(笑)さあ諸君!腹をかかえて笑いたまえ!
ガボット [※MIDI] (8KB/2分14秒)
ガボット(杖指揮ドンドンリズムバージョン笑) [※MIDI] (11KB/2分14秒)





>> 戻る
No.002 ラヴェルとモーツァルトは超・小っさい

ラヴェルの身長は150cm、モーツァルトの身長は152cm。ついでににドビュッシーは160cmで、ショパンV世は165cm(サバ読み)である。
ちなみに、アリtoキリギリスの石井は157cm、ナインティナインの岡村は156cm、爆笑問題の田中は153cm。





>> 戻る
No.003 シューベルトとベートーヴェンの墓は隣同士

シューベルトはベートーヴェンの大ファンでした。 …というよりも、彼にとって「ベートーヴェン」とは「神」のごとき「高位の存在」だったのです。 ナマの、生きているベートーヴェンと会えたのは、シューベルトの人生でたったの一度きり。 その時シューベルトは、ベン様(笑)と話すせっかくのチャンスだと言うのに緊張しすぎてまったく話せなかったといいます。 シューベルトは遺言で「彼の隣に埋めてくれ」と残しており、この願いは叶って、二人の墓は隣同士になりました。 シューベルトは決してホモなわけじゃないでしょうが、好きで好きでしょうがなかったんでしょう。

誤解のないように言っておきますが、
同じ墓に一緒になって入ってるわけではなく、 あくまで、隣同士(・・・)です。
二人の遺体は、ヴェーリング墓地(現・シューベルト公園)に収められました。

現在はウィーンの中央墓地に移転?…して埋められているとのこと(;´д`)ノ"





>> 戻る
No.004 【 無窮動 】という、無限に続く曲がある

クラシックには永遠に続く曲があります。≪ワルツの王≫という異名を持つヨハン・シュトラウスU世が作った作品、 Perpetuum Mobile(訳;常動曲)です。

たった数小節のテーマがさまざまな楽器で変奏曲風に続いては、
いつまでも繰り返せる構造になっているので、『永遠に終わらない曲』と呼ばれています。

通称『無窮動』と言われているようですが、
『無窮』の言葉の意味は“永遠、無限”で、『常動』の言葉の意味は“常に動き続ける”です。(⇒まんま






>> 戻る
No.005 オーケストラの世界では、左利きは禁止

なんと、オーケストラの世界では昔から“左利き”が認められていません。 現代では、「左利き用ギター」やら「左利き用ハサミ」などはありますが、「左利き用ヴァイオリン」はありません。 ソリストのためのオーダーメイドならあるかもしれませんが、 少なくともオーケストラに混じっての演奏はさせてもらえません。 これは、ボーイング(弓をひくこと)のとき右利きと左利きの人が混在すると、隣の人と肘がぶつかってしまうのが理由のようです。




>> 戻る
No.006 伊藤博文はフランツ・リストを日本に連れてこようとした

西暦1883年1月ワイマール公園の祝典での出来事。当時のヨーロッパでは誰も知らない人はいないというほどの老人フランツ・リスト(73歳)は、聴衆に演奏をせがまれ、ピアノを弾いていました。 そのときリストの演奏を初めて聴いて感激を受け、「ぜひ我が国へ連れて帰らねばなるまい!そして、教師として迎えよう!」と、思ってしまった日本人がいました。3年後に日本最初の内閣総理大臣になる伊藤博文(42歳)です。 彼は憲法調査のため、ヨーロッパ各国を旅していたのでした。しかし、彼と一緒に各国をまわっていた西園寺公望(34歳)は、 このフランツ・リストがどれだけ偉大なる地位の人物かを充分承知していたので、日本という小さな島国に来れるわけがないということをすでに承知しており、 興奮やまずに駄々をこねる伊藤博文を説得し、なんとかあきらめさせたといいます。フランツ・リストと伊藤博文の組み合わせでも“異色”だというのに…、、すごい話です。





>> 戻る
No.007 「エリーゼのために」は「テレーゼのために」だ

「エリーゼのために/Fur Elise」はベートーヴェンの死後、テレーゼ・フォン・ドロスティックという女性の蔵書の中からの自筆譜が見つかった作品です。
「4月27日エリーゼの思い出のために、ベートーベン作」と彼自身の字で書かれていたために、 誰もそれを疑うこともなく、世の中では「エリーゼのために」という名前で定着していました。ところが、20世紀になり、 ベートーヴェン筆跡研究家のマックス・ウィンガー教授が本気で(笑)そのタイトルを鑑定したところ、

「テレーゼとも読める…、、、ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル」

と言い出したので、さぁたいへん。その瞬間、「エリーゼ」は間違いであるということが発覚したのです。 ベートーヴェンの"The"は"E"とも読めたのです。もうご存知のことと思いますが、ベートーヴェンはむっちゃ字が汚かったのです。 ちなみに私も字が汚いですが(笑)本人は「fuer Therese(テレーゼのために)」と書いたつもりなのに、 そのあまりの字の汚さから、最初にそれを読んだルートヴィッヒ・メールという研究者が「fuer Erese(テリーゼのために)」と楽譜のタイトルを読み違えてしまい、なんと、 間違った情報のまま、「テリーゼのために」が世に発信されてしまったわけです。 研究者たちがいくら探しても、ベートーヴェンの周りに"エリーゼ"なる人物が見つからなかったのは当然の話。 テレーゼという女性は、彼の弟子のテレーゼ・マルファッティ(当時17歳)のことでした。 なんと、ベートーヴェン(当時40歳)が結婚を申しこんだ女性だそうです。 でも、彼女の父親にめっちゃ反対され、この恋は散りました。 このことからもわかるように、「テレーゼのために」の旋律は彼女への想いをつづったものだったわけです。 曲だけでなく、彼女へ送ったたくさんの手紙までも残っていました。(  …手紙って書くもんじゃないですよね…自分の書いたラブレターが、 まさかこれほどたくさんの人の目にさらされるなんて…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル…  )ちなみにテレーゼ・フォン・ドロスティック(ドメスティック(笑))は結婚後の名前であり、 彼女は結婚前の名をテレーゼ・マルファッティといいました。…って、おい!!(゚Д゚#)ゴルァ!!
自筆譜が見つかった場所が「テレーゼ」なんだから最初から気づけよ!なんで、長い間悩んでんの?研究者よ。

◆ピアノソナタ第24番《テレーゼ》◆

作者/ベートーヴェン
作曲/1809年
作品番号/78(=op.78のこと)
調性/嬰へ長調

おまいら、あふぉかーーーーー( ̄□ ̄;)!!

ちなみに、
「テレーゼのために」の他に、《テレーゼ》というピアノソナタも存在します。(⇒)

どうやら“天才”は字が汚いようですね〜あのアインシュタインもそうだし…って、
ま、まさか…あの「相対性理論」は間違ってないですよね( ̄□ ̄;)!!






>> 戻る
No.008  シューベルトはベートーヴェンが死んだ時
「次に続く者のために乾杯」と言って翌年、自分が死んだ


ベン  ⇒ 1827/3/26死 (※56歳
シュー ⇒ 1828/1/19死 (※31歳
シューベルトはベートーベンが死んだ夜、「ベートーベンに!」と言って乾杯した後、
「次に続く者に!」と言ってふたたび乾杯したといいます。
なんたる偶然か…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル…翌年、自分が死んじゃいました。。。





>> 戻る
No.009 「ウンポーコ」という音楽用語がある

un poco(ウンポーコ)/少し速く
un/一つの
poco/少し
“ウンポーコ”という音楽用語があります。意味は「少し速く」。
でも楽譜内では単独で使われることはまずなくて、『アンダンテ・ウンポーコ』のように複合技?で使います。

あと…、、、

音楽用語の「少し速く」とは関係ないのですが、
とある国では「少し」という意味の単語で、なんと…

ウンチン!

さらに、
“もっと少ない”という表現はなんと…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル

ウンチンチン!!!!


   〜■正しい使い方■〜

 娘:「おかぁさーん、ご飯おかわり!!!ウンチンね!!」
 母:「あいよ」
 娘:「ちょ…ちょっと多いよ!もっとウンチンチンで!!」
 母:「あぁ〜ハイハイ、ウンチンチンね。」


ノッテキタので、ついでにもう一つイキマス( ̄▽ ̄)ゞ
韓国ではネックレスのことを『モッコリ』と発音します。


   〜■正しい使い方■〜

 娘:「おかぁさーん、そこにあるモッコリ取って!!」
 母:「あいよ」
 娘:「遅い!ウンチン早く!そのモッコリ!!」
 母:「あぁ〜ハイハイ、このモッコリね。」






>> 戻る
No.010 ビゼーとヨハン・シュトラウス2世は誕生日と命日が同じ

ジョルジュ・ビゼー    ⇒ 1838/10/25-1875/6/3
ヨハン・シュトラウスU ⇒ 1825/10/25-1899/6/3
ビゼーとヨハン・シュトラウス2世は“生まれた日”と“死んだ日”が同じです。
ビゼーは享年36歳、シュトラウス2世は享年73歳でした。

ちなみに、
美川憲一と美輪明宏も同じ誕生日で、5月15日だそうです。美川⇒昭和21年、美輪⇒昭和10年生まれ。
石原裕次郎と渡哲也も12月28日で同じです。裕次郎⇒昭和9年、哲也⇒昭和16年生まれ。

なんか、怖ぇぇ…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル…













>> HOME >> 図書室TOP >> 戻る