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■ピアノの詩人 《 ショパン 》

ドラクロワが書いたショパンの画
Frederic-Francois Chopin
(1810−1849)

正式名称フレデリク・フランソワ・ショパン
生死1810年3月1日生〜1849年10月17日没
故郷ポーランドのジェラゾヴァ・ボーラ
性格繊細、プライド高、優柔不断
身長170cm
体重45kg
血液型不明
持病肺結核
趣味おしゃれ、オペラ鑑賞
演奏スタイル優雅、なめらか、優しい、ロマンチック
家族父:ニコラ、母:ユスティーナ、姉:ルドヴィカ、妹1:イザベラ、妹2:ミリア
女性関係コンスタンツィア、マリア、サンド(本名;オーロール・デュパン)、ポトツカ伯爵夫人
最後の言葉 「おかあさん…私のかわいそうなお母さん…」


いまさら説明の必要もないと思うが、彼ほどピアノに愛された作曲家はいないことだろう。

「ピアノの詩人」と呼ばれる彼の作品のほとんどはピアノ独奏曲ばかり。
彼はピアノの曲しか書く気がなかったのである。ピアノの音が好きだったのである。
ピアノ協奏曲だってしぶしぶ作ったという…。ってか、そこがまたイイ( ̄□ ̄;)!!

彼なしに、ピアノは語れない!!

さらに、彼の生み出す旋律がどんなにすばらしいかは、かのフランツ・リストが、
長い生涯を通じて愛奏していたop.10のショパン・エチュードからも容易に推測できるはずだ。

ショパンは当時、「彼はピアノという楽器から少ししか音を出さない」と言われた時、
『フランツ・リストは"大勢"に聴かせるように弾くが、私はそばにいる"たったひとり"に聴かせるために弾く』 と答えたと言う。

彼はポーランドのワルシャワという地に、フランス人の父親&ポーランド人の母親の間に生まれたが、
1830年11月2日にウィーンに飛び出してからは祖国ポーランドの地を踏むことは無く、
彼の生涯の後半である19年もの時を、パリで過ごした。

彼は音楽の才能に恵まれていながら、"結核"をわずらってわずか39歳でこの世を去った。
繊細で傷つきやすい性格は周知のとおりだがプライドも高く、
きっつーい毒舌も言う反面、場にいるものを爆笑させる一面も持っていた。

こんな話がある。
―サロンに招かれた貴族達は、ショパンがノクターン(意味:夜想曲)を弾くとき、
部屋のあかりをすべて消し、目を閉じてその旋律に浸った―
という。

ちなみに、
彼のエチュードop.10の3番に付けられている《別れの曲》という名前は日本だけの呼び方である。
あんなにすばらしい旋律をこのような不吉な名前で呼ぶ事はたった今からやめておこう…、、、

もしもあなたが、本当にショパンを愛するならば!

■■■ショパン関連Webサイト■■■

Chopin and Liszt MIDI Works
ショピニストへの道
ショパンにチャレンジ
ショパンウェブ
the Piano
ショパンネット資料館
ショパンな部屋
ショパンの部屋
音楽の間
ショパンの本棚
フレデリック・ショパン―Wikipedia
浪漫派研究会
楽譜の風景
ショパンと私
ピアノ音楽雑誌【ショパン】サイト
日本ショパン協会
ショパン国際ピアノコンクール
ショパン国際ピアノコンクールin ASIA
ショパン国際ピアノコンクール―マクセル
CHOPIN:THE POST OF THE PIANO海外サイト
ポーランド放送局海外サイト
Fryderyk Chopin海外サイト


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