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■ピアノの魔術師 《 リスト 》


Frants Liszt
(1811−1886)

正式名称 フランツ・リスト
生死 1811年10月22日生〜1886年7月31日没
故郷 ハンガリーのライディング村
性格 軽い、親分肌、ナルシスト、紳士
身長 180cm
体重 不明
血液型 不明
趣味 不明
持病 いたって健康(長寿)
演奏スタイル 豪快、大げさ、爆音、優雅
家族 父:アダム、母:アンナ
女性関係 マリー・ダグー伯爵夫人、その他大勢…(笑)
名言 「私は、ピアノのパガニーニになる!!!」


いまさら説明の必要もないと思うが、彼を超えるピアニストはこの世に存在しないだろう。

彼は「ピアノの魔術師」と呼ばれていたが、
腕を高く振り上げて交差したり大げさなアクションで演奏する彼の姿は、
まさに儀式をする魔術師のようであったのだろう。

『彼が弾いた後には、ピアノの残骸が残ったほど』
ときけば、彼の演奏がどれほど豪快だったかは、容易に想像がつく。
「鍵盤の王者」とも言われる所以(ゆえん)だ。

そして、
13度を超える和音をたやすく押さえる巨大な手は、
会場の外まで聴こえるほどの爆音フォルテ…名づけて

"グランドフォルテシモ"

を召喚しては、
ウィーンに存在するピアノの弦を次々とぶっちぎっていったのだ。

彼の作る旋律のほとんどは16分音符以上の細かい音符で出来ており、
彼の腕により奏でられる旋律は、まさに"魔法"のごとくピアノの中からあふれ出たのである。
それほどに超絶技巧の持主であり、にはもはや彼の指に不可能なことは何一つ無く、
むしろ当時のピアノの性能の方が、彼に追いついていなかったという。
これは古いモビルスーツがニュータイプの操縦について来れないのとよく似ているが、
ピアノの進化において、彼は欠かせない存在だったことだろう。
ベーゼンドルファーだけが、彼のグランドフォルテシモに耐えられたという…

リストはその美貌により、髪をかきあげただけでウィーンのレディたちの数十人は失神させ、
彼が客席に投げ込んだアイテム(手袋、帽子、上着)は、それに群がるレディ達の奪い合いによって、
瞬時に引き裂かれてチリと化したという。→おおげさ

リサイタルという言葉は彼の名"リスト"からきており、
ピアノを横向きにして演奏者の姿を観客に良く見えるようにし、
音だけでなく演奏者のアクションをも視覚的に楽しむスタイルを最初にしたのが彼だからである。
ピアノリサイタルの演奏は必ず「暗譜」というのを常識として世に広めたのも彼である。
授業スタイルのマスタークラスというものを作ったのは彼である。
「交響詩の父」とも呼ばれている。

このように彼は、ピアノの演奏やピアノという楽器…いや、
ピアノの世界の進化そのものに大きく貢献した偉大な人物なのである。
まさに彼こそはガンダムで言うところのシャアであろう…


■■■リスト関連Webサイト■■■

Chopin and Liszt MIDI Works
Franz Liszt and Me
フランツ・リストの回想
Page de Frantz Liszt〜フランツ・リストへの誘い
リストへの挑戦
フランツ・リストホームページ
フランツ・リスト―Wikipedia
リスト協会
Franz Liszt Site海外サイト
Classical Net - Basic Repertoire List - Liszt海外サイト
Classical Music Dictionary海外サイト


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